透花の庭 ~雨上がりに咲いた永遠の薔薇~

透花の庭 ~雨上がりに咲いた永遠の薔薇~

last updateDernière mise à jour : 2025-12-12
Par:  佐薙真琴Complété
Langue: Japanese
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十六歳の透花は、母を亡くした。 悲しみから目を背け、他者を救うことだけに生きる日々。それが透花の、歪んだ優しさだった。 ある日、古い図書館で出会った謎の老婦人が告げる。「失ったものが見つかる庭が、ある」と。 庭を探す透花は、難病の少年・蒼と出会う。彼を救いたい。その一心で、透花は廃墟の温室に咲く一輪の薔薇を見つける。七十年間、誰にも世話されず咲き続ける深紅の花。その名は『永遠の約束』。 だが、蒼の命は儚く消えた。 何も救えなかった。絶望の中で透花が辿り着いたのは、温室の薔薇の前だった。 雨の夜、透花は知る。庭とは失ったものを探す場所ではなく、失ったものと共に生きる場所だと。

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Chapitre 1

第一章 雨の葬列

 雨は透花の世界を灰色に塗り替えた。

 十月の冷たい雨が、黒い傘の列を濡らしていく。透花は喪服の袖で顔を覆い、母の棺が祭壇に運ばれるのを見つめた。棺の中には、もう二度と目を開けることのない母がいる。三年の闘病の末に、母は静かに息を引き取った。

 透花は十六歳だった。

「透花ちゃん、しっかりね」

 叔母の言葉が耳を通り過ぎていく。透花は頷いた。涙は出なかった。いや、出せなかった。悲しみは確かにそこにあるのに、それを表現する方法が分からない。まるで心に蓋をされたような、奇妙な空虚さだけが透花を満たしていた。

 式が終わり、参列者が次々と去っていく。透花は一人、雨に打たれる墓標の前に立ち続けた。

「お母さん」

 小さく呟いた声は、雨音に消える。

 母は優しい人だった。病床でも、透花のことを気遣い続けた。「大丈夫よ」と微笑んで、透花の手を握った。その手は日に日に細くなり、やがて透花の手を握り返す力さえ失っていった。

 最期の日、母は何か言おうとして、言葉にならなかった。透花はその唇の動きを読もうとしたが、分からなかった。母は静かに目を閉じ、そして二度と開かなかった。

 あの時、母は何を言おうとしていたのだろう。

 透花は墓標に手を伸ばした。冷たい石の感触が、指先から心臓まで冷気を送り込んでくる。

「すみません、透花さん。お車をお待たせしていますので」

 葬儀社の男性の声に、透花は我に返った。頷いて、墓地を後にする。振り返ると、母の墓標が雨の向こうに霞んでいた。

 家に戻ると、透花は母の部屋に入った。

 病院から運ばれてきた母の私物が、段ボール箱に収められている。透花は箱を開け、一つ一つ取り出していった。パジャマ、スリッパ、読みかけの本。どれも母の匂いがする。

 箱の底に、古い革表紙のノートがあった。

 透花はそれを手に取り、開いた。母の丁寧な文字が、ページを埋めている。日記だった。

 最初のページには、十七年前の日付が記されていた。透花が生まれる前だ。

『今日、妊娠が分かった。嬉しい。怖い。この小さな命が、ちゃんと育ってくれるだろうか。私は良い母親になれるだろうか』

 透花は息を呑んだ。母の不安が、ページから滲み出てくる。

 ページをめくる。母の日常が、言葉となって現れる。透花が生まれた日の喜び。初めて笑った日の感動。初めて歩いた日の驚き。

 そして、透花が五歳の時の記述。

『透花は優しい子だ。公園で転んだ子を見て、自分のハンカチを差し出していた。誰に教えられたわけでもないのに。この子の優しさは、どこから来るのだろう』

 透花の目が熱くなった。

『でも、少し心配だ。透花は自分のことより、他の人のことばかり気にする。自分が悲しい時でも、私に心配をかけまいと笑顔を作る。まだ五歳なのに』

 透花は日記を閉じた。

 母は知っていたのだ。透花が自分の感情を押し殺していることを。他者の痛みを引き受けることで、自分の痛みから逃げていることを。

 でも、母はそれを責めなかった。ただ、心配していた。

 透花は日記を抱きしめた。そして初めて、声を上げて泣いた。


 一週間が過ぎた。

 透花は学校に戻った。クラスメイトたちは気を遣って、透花に話しかけることを躊躇った。透花はそれに感謝しつつも、その距離が自分を一層孤独にすることを感じていた。

 放課後、透花は図書室に向かった。

 本に囲まれた静かな空間が、透花の唯一の安らぎの場所だった。司書の先生は優しく微笑み、何も聞かずに透花を迎え入れてくれた。

 透花は奥の席に座り、本を開いた。文字が目に入ってくるが、意味は頭に入らない。ただページをめくる動作だけが、透花に何かをしているという感覚を与えてくれた。

 夕方近く、透花は図書室を出た。

 校門を出ると、小雨が降り始めていた。透花は傘を開き、いつもと違う道を選んだ。家に帰りたくなかった。母のいない家に。

 住宅街を抜け、商店街を通り過ぎる。やがて透花は、古い建物の前に立っていた。

 市立図書館。

 透花は何度か前を通ったことがあったが、中に入ったことはなかった。古びた建物は、昭和の香りを漂わせている。

 なぜか、透花は中に入りたくなった。

 重い扉を押し開けると、古い本の匂いが鼻をついた。木製の床が、足音に反応して軋む。

 館内は薄暗く、訪れる人もまばらだった。受付の女性は眠そうに雑誌を読んでいる。

 透花は書架の間を歩いた。

 哲学、歴史、文学。背表紙が並ぶ。透花は文学の棚の前で立ち止まり、適当に一冊を取り出した。

「その本は、悲しい人には向かないわ」

 声に振り向くと、老婦人が立っていた。

 白髪を丁寧に結い上げ、上品な装いをしている。だが、その顔には深い皺が刻まれ、目は不思議な光を宿していた。

「え?」

「その本は、悲しみに沈む人を一層深い淵に引きずり込むの。あなたには、別の本が必要だわ」

 老婦人は透花から本を受け取り、棚に戻した。そして別の本を取り出し、透花に手渡した。

「これを」

 表紙には『失われた庭の物語』と書かれていた。

「これは……?」

「読めば分かるわ。でも、今日はもう遅い。借りていきなさい」

 老婦人は微笑んだ。その微笑みには、どこか透花を見透かすような、不思議な深みがあった。

「あの、あなたは……」

「ただの本好きの老婆よ。でも、あなたは特別ね。透花ちゃん」

 透花は息を呑んだ。

「どうして私の名前を……」

「さあ、早く帰りなさい。雨が強くなるわ」

 老婦人はそう言うと、書架の奥に消えていった。透花は後を追おうとしたが、その姿はもう見えなかった。

 透花は本を胸に抱き、図書館を後にした。


 その夜、透花は借りてきた本を開いた。

 それは一冊の童話のようだった。挿絵もなく、ただ文字だけが続く。

『昔々、ある国に美しい庭がありました。その庭では、失われたものが再び見つかると言われていました』

 透花は読み進めた。

 物語の主人公は、大切な人を失った少女だった。少女は庭を探して旅に出る。道中、様々な人に出会い、様々な試練を乗り越える。

 だが、物語は途中で終わっていた。最後のページには、こう書かれていた。

『少女は庭を見つけたでしょうか。それは、あなたが決めることです』

 透花は本を閉じた。

 失われたものが見つかる庭。そんなものが、本当にあるのだろうか。

 いや、あるはずがない。

 でも、透花の心の奥で、小さな希望が芽生えていた。もしかしたら。もしかしたら、母に会えるのではないか。もう一度、母の声を聞けるのではないか。

 透花は母の日記を取り出し、続きを読んだ。

『透花が十歳になった。最近、よく図書館に行くようになった。本が好きなのは、私に似たのかもしれない。でも、透花は本の中に何を探しているのだろう』

 透花は息を呑んだ。

 そうだ。透花はずっと、何かを探していた。本の中に、答えを。自分の存在する理由を。誰かの役に立つ方法を。

『今日、透花が泣いていた友達を慰めていた。優しい子だ。でも、透花自身が泣く姿を、私は見たことがない。この子は、本当は誰に慰めてほしいのだろう』

 透花の視界が滲んだ。

 母は全て知っていた。透花の弱さも、痛みも、孤独も。でも、母は何も言わなかった。ただ、そばにいてくれた。

 そして今、母はいない。

 透花は日記を閉じ、窓の外を見た。雨は止んでいた。夜空には、雲の切れ間から星が見えた。

 明日、もう一度図書館に行こう。あの老婦人に会おう。そして、庭のことを聞こう。

 それが何の役に立つのか、透花には分からなかった。でも、何もしないよりはましだった。

 透花は本を枕元に置き、目を閉じた。

 夢の中で、母が微笑んでいた。

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第一章 雨の葬列
 雨は透花の世界を灰色に塗り替えた。 十月の冷たい雨が、黒い傘の列を濡らしていく。透花は喪服の袖で顔を覆い、母の棺が祭壇に運ばれるのを見つめた。棺の中には、もう二度と目を開けることのない母がいる。三年の闘病の末に、母は静かに息を引き取った。 透花は十六歳だった。「透花ちゃん、しっかりね」 叔母の言葉が耳を通り過ぎていく。透花は頷いた。涙は出なかった。いや、出せなかった。悲しみは確かにそこにあるのに、それを表現する方法が分からない。まるで心に蓋をされたような、奇妙な空虚さだけが透花を満たしていた。 式が終わり、参列者が次々と去っていく。透花は一人、雨に打たれる墓標の前に立ち続けた。「お母さん」 小さく呟いた声は、雨音に消える。 母は優しい人だった。病床でも、透花のことを気遣い続けた。「大丈夫よ」と微笑んで、透花の手を握った。その手は日に日に細くなり、やがて透花の手を握り返す力さえ失っていった。 最期の日、母は何か言おうとして、言葉にならなかった。透花はその唇の動きを読もうとしたが、分からなかった。母は静かに目を閉じ、そして二度と開かなかった。 あの時、母は何を言おうとしていたのだろう。 透花は墓標に手を伸ばした。冷たい石の感触が、指先から心臓まで冷気を送り込んでくる。「すみません、透花さん。お車をお待たせしていますので」 葬儀社の男性の声に、透花は我に返った。頷いて、墓地を後にする。振り返ると、母の墓標が雨の向こうに霞んでいた。 家に戻ると、透花は母の部屋に入った。 病院から運ばれてきた母の私物が、段ボール箱に収められている。透花は箱を開け、一つ一つ取り出していった。パジャマ、スリッパ、読みかけの本。どれも母の匂いがする。 箱の底に、古い革表紙のノートがあった。 透花はそれを手に取り、開いた。母の丁寧な文字が、ページを埋めている。日記だった。 最初のページには、十七年前の日付が記されていた。透花が生まれる前だ。『今日、妊娠が分かった。嬉しい。怖い。この小さな命が、ちゃんと育ってくれるだろうか。私は良い母親になれるだろうか』 透花は息を呑んだ。母の不安が、ページから滲み出てくる。 ページをめくる。母の日常が、言葉となって現れる。透花が生まれた日の喜び。初めて笑った日の感動。初めて歩いた日の驚き。 そして、透花が五歳の時の記述
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